コミュニケーションを強要される世界。

簡単に言えば、ソーシャルネットワークだ。
さらに極端な例を挙げれば、mixiだ。

もうすでに書きつくされた感があるんだけど、なんとなくまとめてみることにした。

日記が書ける、コメントが書ける、コミュニティに入れる、コミュニティで交流が出来る。
そしてmixiがすべてになっていき、mixiに入っている誰もが自分と同じ感覚なんだと錯覚してしまう。

ブログであれば、閲覧してもログが残るだけだ。ログなんてものは、個人が趣味でやっているサイトにとっては、自己満足のためのデータでしかないと思っている。まあ今はそんな無駄なことを書くのはやめよう。

しかしmixiは「何分前にログインしました」というものが残る。
間違ってブックマークから開いても、メッセージを確認するためにログインしても、理由はともかく何分前かわかる。
さらにログは、足跡として残る。

足跡が残っているのに、日記にコメントを書かないのは何事か?日記にコメントを書くのが当たり前ではないのか?
そういった間違った感覚がmixiにどっぷりな人たちにはあるようだ。

また、mixiをはじめてしばらく経つと、マイミクの増加も安定し、コミュニケーションを取る人も限られてくる。そのときに起こるのが、「コミュニケーションの強要」ではないだろうか。
「日記にはコメントするのが当たり前でしょ?私だってコメントしてるんだから。そうじゃないの?」
その結果として、アクティブに活動できないユーザは、コミュニケーションが出来なくなり、mixi疲れを起こす。

今まで、ブログと携帯のメールで成り立っていたはずのコミュニケーションの世界が、突然すべてがmixiにコンバートされ、その世界から取り残された人間は、突然に切り離される。
そして、その世界の暗黙の了解に慣れない人間も切り離される結果になる。

そしてもう一つ、「批判を許さない世界」だ。

コミュニティ内で批判が行われると、「批判した内容」についてよりも「批判したこと」について議論が行われる。くさいものには蓋をしろと言わんばかりに、批判したことに対して「それならば提案しろ」という言葉が出てくるのだ。
批判した人物は、結局は提案したくても出来ない状況へと追い込まれ、結局批判したものが悪になる。
批判した内容を理解されない・・・そしてmixi疲れだ。

なんと言っていいんだろうか・・・

mixiという閉鎖的でありながら、閉鎖されていない空間で、何かコミュニケーションの手法を見失っている人が多くなっている気がしてならないのだが、それに対しての対処法を私は何も持たない。
きっとこれは「批判した」ということで、叩かれてしまう文章になるのだろうな。

ここまで書いて疲れてきた・・・
そう、私もそろそろmixiには疲れているのだよ。

mixiに疲れているというか、怒涛のように押し寄せる人の波に疲れているのかもしれない。
コミュニケーションツールが増え、インターネットがより生活に浸透している中で、以前は考えられないような人のつながりが出来る事も多い。そのことが不利益になっていないだろうか。

mixiが無くなり、いろいろなことが忙しくなり、コミュニケーションを取れない日常が続いたとき、ふと数年ぶりに「久しぶり」の一言で数年のギャップが埋められる友人というものが残っているんだろうか。

そんなことを考えてしまう。

雑記系

Posted by taktic